更新日: 2013年2月19日
私は高校1年生のとき、不登校でした。
理由はIBS。過敏性腸症候群。
お腹の調子がいつも悪く、便秘と下痢を繰り返し、オナラも止まらない・・・。
中3の半ばあたりに発症し、長く苦しみました。
ネットで調べてみると、完治しない、とのこと。。。。
愕然としたことを覚えています。
死のうともしました。
いろんな病院をかけずりまわりました。
でも言われることは一緒、「気にしなければいい」。
それが簡単にできれば苦労してないよ。
高校は無事合格したものの、症状が悪化し、とても授業が受けられる状態ではなくなり・・・
保健室に駆け込み、助けを求めた。
親に連絡がいき、迎えにきてくれた。
しかし、両親は「なぜ授業にでないんだ。なにしてるんだ。」と私を責めた。
その後は学校に行けず、そして両親とうまくいかず、祖母・祖父の家にお世話になった。
祖父は、「人生、どこかで大きな壁にぶつからなきゃならん。それが今きただけさ。心配することない。」と言ってくれ、泣きました。
やっと居場所があった・・・・・・と。
しかし、時々くる母は、「勉強少しでもやっておかないと進級できないわよ」と、心身疲れ切った私に数学を教えてきました。
そのとき私はうつ病も併発していました。
正直、あきれていました。なにもわかってくれてない、と。
父は、複雑な家庭環境で育ったせいもあって、異常なまでに厳しく、怒鳴り、罵り、DVする人だったので、毎日毎日罵声を浴びせてきました。また、子供がなにかやらかすと、すべて母親のせいにするところがあり、母にも飛び火がいっていました。
家内はバラバラでした。
この父に関することでもずっと悩まされてきていて、そのことも重なって、より精神的に狂っていました。
しかし、家にいても休まらなかった私は、半年ぶりぐらいに学校へ行きました。相談室ですが。
相談室の先生は優しく、唯一心を許せる人でした。
しかし、本気で高校を辞めようとも考えていました。
でも辞めたくない気持ちだってありました。病気のせいで人生狂わされたくない!という気持ち。
母が学校に退学届を提出しようとしたとき、当時の校長先生が、
「本人にまだ意志があるなら受け取れません。もう1度待ってみましょう。」と言ってくださいました。
私は最後の力を振り絞りました。
段々と授業にも出れるようになり、年度末に先生方に補講をしていただき、なんとか終業式までにすべての単位を取り終え、無事進級することができました。
2,3年生と、”不登校だった子”という目でみられ扱われ、苦しかったですが、無事卒業し、大学に進学しました。
今ではほぼ完治しました。
大学前で1人暮らしをし、授業にも出席し、フル単です。
また、部活にも所属し、合宿にもふつうに参加できています。
去年なんかは、約2か月間、見ず知らずの人達と寮生活だって共にしていました。
あの頃からは想像もできなかった生活です。
病気になったことを恨んでいるかと聞かれたら、恨んでないと言ったら嘘になります。
でも、代わりに”強さ”を手に入れました。
あんなに打たれ弱かった私が、何事にも動じない精神力をつけることができました。
人って追い込まれると、とんでもない力を発揮するんですね。
この病気で苦しんでいる人たち、いっぱいいると思います。
なかなかコミュニティがなく、当時の私も孤独感を味わっていました。
でも、諦めないでください。
ふつうに生活している人間がここにいます。
病気をほぼ完治させた人間がここにいます。
恋愛だってできます。
支離滅裂な文章ですみません。
誰かの心の救いになれますように。