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更新日: 2013年3月14日

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勇気を出して、投稿しようと思います。これかきっかけにもっと前向きになりたいと考えています。宜しくお願いします。
父は私が6歳の時に亡くなりました。

痩せきった父が私に手を伸ばし、何かを言おうとしているのがいまだに覚えています。今振り返れば、きっと「母を宜しく頼む。」だと私は考えています。その時、その人が父だという実感がなく、手を握り返すことすらしてあげられなかったのです。

 父が亡くなってから、私たちの幸せな家庭が崩壊しました。
3人兄弟である私たちは、兄が叔母の処に預けられ、私たちは祖母の処に預けられ、母が出稼ぎへ行きました。
祖母が母を好まず、学校すら行かせないぐらいで、家事を押し付けていました。そんな私たちも喜んで受け入れず、家事をやらされ、常に怒鳴られました。

反抗すると常に君たちが母に捨てられた子だ、誰も君たちの面倒を見ないよと心理的な虐待を受けてきました。11歳になり、母が日本人の男性と再婚し、私たちが中国から日本へ行き、一緒に暮らす事になりました。

やっと母と暮らせると期待を膨らんでいたが、運命は悪戯のように、その2週間までに義父が家の大掃除で高血圧になり、亡くなりました。

母は大変鬱病になり、5年経ての再暮らしが決して幸せではなかったのです。母が君たちなんかいなきゃ良かったとか常に怒鳴られ、嫌な眼差しばかり向かられました。

ビザの関係というのもあり、母が2人目の義父と結婚しました。

その義父がヤクザと何なかの関係があって、結婚してすぐに仕事を辞めました。

義父が私たちのことが嫌って、機嫌悪いと常に私たちに当たってきました。怒鳴るのが日常茶飯事で精神的な虐待、時には暴力を振ってきました。

母が家計のためにも友達と他の県で働き、一か月に1、2回帰るぐらいでした。反抗すると義父がすぐ母にぶつけ、母を悲しませたくなくて常に我慢して来ました。

学校では外国人であるためからかわれ、孤立させられ、家では常に精神的な逆を受けた私は逃げ場を失い、常に泣いていました。

精神的に追い詰めた私は生まれてこなきゃ良かったのにと絶望していました。目先が見えない日々、何もかもうまく行かない日々、いつまで我慢すれば良いだろうという日々、きっと大人になると解放されるだろうと考えていました。

成長につれ、大学受験を控えた時に義父が癌になり、3か月で亡くなりました。夢でナイフを持って義父を刺したぐらい私は悲しんで何てなかったです。

しかし、お見舞いに行く時に義父が今まで悪かったねと言ってくれて、涙が止まらなかったです。ようやく自由になった今は決して明るい未来が待っているのではなかったです。

自分が人を愛せるのか、愛されられるのかが未だに不安です。将来に対する恐怖、鬱、生きる価値、様々な壁とぶつかってきました。

今までは常に他人のせいにしていたが、これからは自分が責任をもって生きて行かなければなりません。

でも前向きになって、頑張っていきたいと考えています。

 今になって、私はようやく実父の手を握りかえして、微笑んで、「パパ、安心して、母は私が守るから。」と言ってあげたいです。

笑顔で迎えれば、きっと幸せへの一歩と思いますので、辛くなったらいつも空を見上げ、父の姿を思い出します。

父がきっと天国で私たちを温かく見守っていると考えています。