更新日: 2012年11月25日
私の母は23歳の時、甲状腺癌で大手術をしました。
その病気が発覚したのは、当時、付き合っていた父が首元に偶然触れた時に異変に気づいたことがきっかけでした。
医師からは、余命3年の宣告。
しかし、父は迷わず母と結婚しました。
とにかく一日、一分、一秒でも母と居たかったようです。
そして、医師からは子供は一人だけなら産んでも大丈夫と…
そして2人の間に私が産まれました。
そんな私も25歳になり、結婚が決まりました。
当時の余命宣告は見事に外れ、母は51歳になっていました。
2008年10月吉日に結婚式を挙げ、翌年には長男も誕生し最高に幸せでした!
両親も孫をとっても可愛がってくれて、育児にも協力してくれました。
そんな幸せな日々が突然どん底の日々に変わった…
2009年3月。
母の癌が脳に転移してることが分かりました。
その頃、母は吐くほどの頭痛に耐えていたようです。
それから一年弱。
入退院を繰り返し、
母は息を引き取りました。
自分がいくら辛くても、いつも病院のベッドの上で笑ってた。
『すぐ良くなるから』
『心配かけてゴメンね』
『お母さんは大丈夫だから』
それが口癖でした。
全然大丈夫じゃないのに。
余命、きっと自分でも分かっていたんだよね。
放射線治療で髪の毛が抜けて、可愛い帽子を被っていたのに、いつからか突然かぶらなくなりました。
きっと、心が折れたんだろうな。
私はお母さんに何もしてあげられなかった。
いっぱいいっぱい元気と愛情をもらったのに。
きっと前向きなお母さんだからこそ、1人で抱えて居たんだろうな…
放射線治療に通っている時、お母さんは一度だけ私の前で泣いた。
きっと、体が思うように動かなくなってきたり、髪の毛が抜けたりしていく自分が悔しかったんだ思う。
会計を待つ間に、私はお母さんの手を握って言った。
『どんな姿になっても、私はお母さんのことが大好きだし、お母さんはお母さんだから』
お母さんは声をあげて泣きました。
私は何回生まれ変わってもお母さんの娘になる。
また、お母さんと呼ばせて下さい。
本当に、本当にあなたの娘で良かった。
今では私も2人の息子と旦那さんと幸せな毎日を送っています。
私もお母さんのような母、妻になれるように前を向いて歩いて行きます。
いつか、天国で会える時まで、見守っていてね。