更新日: 2013年1月25日
私が実家を出るまでの20年間。二世帯で暮らしていました。
母方の祖父母と一緒に…
おばあちゃんとは仲が良かったのですがおじいちゃんとは、なにかと口喧嘩をしていたのをよく覚えています。
次女を妊娠中に里帰り出産をする事になり日々すごしていると、祖父が体調が優れないから近くの病院へ自転車で行ってくると…その姿を私の長女(当時2才)と見送りました。『いってらっしゃい』も言わずに。
その時に軽い陣痛が起き出しました。様子をみながらゆっくりしていると電話がなり祖母が出ているのが聞こえてきました。バタバタと音がして『おじいちゃんが病院の前で倒れたって。大きな病院に搬送されるから連れていって!』と泣きながらうったえてきました。
私は陣痛がおきていて何も出来ず家族に連絡をとることしかできなかった。
祖父の状態がわからないまま私も産婦人科へ行くことになり、姉が立ち会ってくれていました。本当は母がくる予定でした。
たまになる携帯電話にスゴク敏感になりました。姉が途中、陣痛室を出ていき泣きそうになりながら帰ってきました。話を聞くと『おじいちゃんの状態がどうなるかわからないけど、意識がないみたい。』と祖父が大好きな姉は混乱しそうなのを抑えてひたすら、私の腰をさすってくれました。
旦那が到着して姉と交代し、私は無事に次女を産むことができました。母も数時間してから『おめでとう』と言いに来てくれました。私は祖父の状態が気になり聞くと『まだどうなるかわからない。』とそれだけしか教えてくれませんでした。
本当はもう亡くなっていたのに…我慢して腰をさすり続けてくれた泣き虫の姉。
泣くのを我慢して『おめでとう。付き添いできなくてゴメンね。』っと言ってくれた母。
全てを知っていて黙っていてくれた旦那。
次女の誕生日と、祖父の命日が一緒になった日。その日はだれも教えてくれなくて、私が後悔するからと次の日に姉が祖父が亡くなってお通夜がある事を教えてくれました。
私は病室で号泣し、みんなの心遣いに感謝してボロボロの体でお通夜と、お葬式に出席しました。
祖父は心筋梗塞でした。
私はでかけていく祖父に声をかけなかった事にスゴク後悔してます。日々の口喧嘩も…。
次女と同じ日に亡くなったのを、なにかの縁だと思い姉妹を大切に育てていきたいです。
ゴメンね。
ありがとう。