更新日: 2012年11月11日
小学3年の時、両親が離婚。
3人の兄と一緒に父方に引き取られました。
母はすぐに彼のもとに行き、父はフィリピン人の女性と結婚すると言いました。
環境の変化について行けない私達は、同じ家に住みながら次第にバラバラになっていき、少しして私は一人の兄から虐待を受けるようになりました。
言うことを聞かないと風呂に沈められ、死を感じました。
今でも水が怖くて、海などには入れません。
高校に入って母と彼の住む家に逃げ込み、ひと安心と思っていたら、母達の借金がひどく、全日制の高校を辞め、定時制の高校に入って昼夜働きました。
家にお金を入れても生活は変わらず、電気も水道もガスも止まり、食事などの生活費も自分で賄っていました。
時々来る兄達は、そんな現状も知らず私が母に渡したお金を無心しに来ました。
母は私からお金をもらっているとは誰にも言わず、兄に渡していました。
そのお金は兄のパチンコ代に回っているようでした。
20歳で何も変わらない現状に嫌気がさし、一人暮らしをしました。
母達は週末になると相変わらずお金を貸して欲しいと訪ねてきました。
22歳で結婚、23歳で出産、24歳でシングルマザーとなりました。
子供のためと安い給料で切り詰めて貯めたお金も、結局母達に渡りました。
子供が大きくなるにつれ、私の中で矛盾が生じてきました。
親として、母達を反面教師にして頑張ってきた。
でもそれとは対照的に、私が過ごしてきた人生はなんだったんだろうと。
自分なら子供にこんなことしないのにと言う思いが強くなり、自分の価値がわからなくなりました。
そして心を病み、家から出ることすらできなくなりました。
そして今までなかったことにされてきた私の感情を、すべて母にぶつけました。
「私はあなた達の金づるじゃない」と。
母は泣いていました。
それから1年間人との接触を避けて過ごしました。
そんななか、母と彼は驚くほど優しくなり、毎年正月に母の家に来ていた、例の兄はパタリと来なくなりました。
母から大事にされ、友達や先輩達に支えられ、1年後看護助手として就職を決め、社会復帰しました。
1年勤めて毎日飲んでいた10種類もの精神薬などを少しずつ減薬して絶ち、看護師になることを決めました。
今看護学校に入学し1年半。
母は彼と籍を入れ、忙しい私をいつも助けてくれる存在になりました。
二人は私に代わって、子供の面倒を引き受けてくれ、そのおかげで心配なく勉強ができています。
私が落ち込むと、
「こんないい娘は他にいない」
「自慢の娘だ」
と言ってくれます。
30を過ぎて初めて親にちゃんと甘えることができた。
両親と娘にはとても感謝しています。
良いことも悪いこともあったけど、それは私を成長させてくれた、私を構成するもの。
子供も私をまっすぐ成長させてくれた。
今の目標は
卒業したら家を買い、父母子供、母方の祖母を引き取ってみんなで暮らすこと。
死を目前とした患者さんを癒し
「生きてこれてよかった」と思って安らかに逝けるようなサポートをする事。
たくさん時間はかかるけど、夢があるから、支えてくれる人がいるから生きてきてよかったと思う。