更新日: 2012年11月16日
私が高校3年の夏、おじいちゃんが入院しました。最初は脳の病気だったのですが、病院の検査で末期癌が見つかってしまいました。
鼻に管が繋がり、痰も自分で出せなくなっていました。
でも、まさかおじいちゃんが死ぬなんて考えもしなかったので、お見舞いに行く度に私が知っている医療知識を従姉妹に偉そうに話していました。
ある日、家族はお見舞いに行ったのですが、私は友達と買い物に行き、お見舞いに行かず。
その夜中、病院からおじいちゃんが危篤だとのおじさんからの電話。
家から病院まで父の運転で夜中の高速を飛ばしましたが、病院に着いた時はおじいちゃんは既に旅立っていました。おじいちゃんの家はゲームも無く、子どもの私にはつまらない場所でした。
だから行っても早く帰りたいといつも思って、おじいちゃんと長く話した記憶もありませんでした。
だからこそ、偉そうに医療知識を喋り、居なくなることを真剣に受け止められなかったのかもと思います。
おじいちゃんが家に帰って来て、母や従姉妹の『父さん、ありがとう。』と言う言葉に、初めておじいちゃんが、両親の喧嘩の度に私の家に来て、仲裁してくれたり、おじいちゃんの家に行く度に、私や家族を心配してくれたこと、いつも優しく笑ってくれたことを思い出しました。
二度と『ありがとう』ときちんと直接言えなくなってから…。
皆さん、お元気なおじいちゃんおばあちゃんがいるなら、ありがとうと言ってください。
取り返しのつかない後悔をしないように。