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更新日: 2012年11月19日

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高2の冬、私を一番理解してくれる大好きなお母さんが亡くなった。

母は寝る間も惜しんで朝も昼も夜も働いていた。
朝は牛乳配達の仕事を週3日ほどやっていて、夏休みは父の代わりに私が一緒に行く日もあった。
4時から配達をはじめていつも決まった場所でジュースを買って少し休憩。その時間が何故だか嬉しかった。
母を独占してる感じがしたのかな。
終わると朝御飯作ってくれて、部活に送り出してくれた。

その生活は辛い反面、大好きな母親と仕事ができることが楽しかった。

夏休みが終わった頃母は仕事を全部辞めた。

数年前にほぼ完治したガンの再発。
私はまたすぐに治って、元気に働く母の姿が見えると思っていた。
でも、それは叶わず担当医から余命を告げられた。
私と姉は毎日毎日病院に行って母とたくさん話をした。
大好きなもやし炒めも毎日持っていった。

母と仲良しのおばさんがお見舞いに来てくれたとき、容態が急変しそのまま逝ってしまった。

私は立ち直れなかった。
学校にも行く気しなくて、18:00になったら玄関から母の「ただいまー!」って声が聞こえるんじゃないかって毎日玄関を見てた。

いつしか母の死をようやく受け入れられたとき、母は私が元気に笑ってることを願っているはずと思って、毎日笑った。
そして、一番応援してくれていた部活にも復帰して引退試合を迎えた。

母に高校部活の集大成を見せれなかったのは本当に悲しかった。
でも、母は空から見てくれていた。
ふと空を見たら「○○ちゃん、お疲れ様。よく頑張ったね!」って。
本当に嬉しかった。
負けちゃったけど、チームメイトとたくさん喧嘩したけど、最後まで頑張れたよ!
お母さんのおかげ。

私の目標は母みたいな母になること。

また会えるなら、私はお母さんの子供に生まれてこれて本当に嬉しいです。って伝えたい。